しょっぱい日常にキラキラを

食べ物から日用品、ファッションから思考回路までビッグでアメリカンカラフルに染め上げる事に幸せを感じる20代後半レディ

インスタ映えと栄え

「写真ばっかり撮ってる人ってその時の記憶、実はほとんどないんだって。」

と、ある友人A。

レンズ越しのその瞬間の画像(映像)だけが記憶、正しくは記録となっているだけで、その時どんな話をしたか、何を感じたか、料理はどんな味がしたか、など画像以外の情報・記憶はほとんどないんだそう。

なるほど。

私とこの映え(栄え)全盛期にこんな秀逸なコメントをする友人Aには共通の友人Bがいた。

そう。Bこそ実は「ほとんど記憶がない人」である。Bは会話そっちのけで料理、空間、被写体と言う被写体を全て撮りまくる。料理が運ばれてきても撮影会が終わるまで自分のオーダーした料理にすら手をつけられない。右から左から、上から下から撮りまくる。まるでグラビア撮影のようだ。そして無言でアプリ加工をし、ほんのり赤いトマトのスープがアップした写真ではドギツい血色に染まっている。即SNSに投稿。温かい料理を囲ったまま、まともな会話のキャッチボールすらできない瞬間が多々あった。

 私はあの沈黙がとてつもなく虚しく感じることがあった。

 一体何がそうさせるのか。

 このカラフルでパッションな写真に託す自身の日常や人生。誰だってキラキラしたフォトジェニックな人生を送り、またそう見られたいのだ。

 

モノクロで地味な日常で、

人生に必要なエッセンスを映え無視で見つけることができれば、日々の日常や人生はより彩りを増すのだと思う。

 

このブログと共に、今の時代をより快適に過ごせるヒントを見つけていきたい。