インスタ映えと栄え
「写真ばっかり撮ってる人ってその時の記憶、実はほとんどないんだって。」
と、ある友人A。
レンズ越しのその瞬間の画像(映像)だけが記憶、正しくは記録となっているだけで、その時どんな話をしたか、何を感じたか、料理はどんな味がしたか、など画像以外の情報・記憶はほとんどないんだそう。
なるほど。
私とこの映え(栄え)全盛期にこんな秀逸なコメントをする友人Aには共通の友人Bがいた。
そう。Bこそ実は「ほとんど記憶がない人」である。Bは会話そっちのけで料理、空間、被写体と言う被写体を全て撮りまくる。料理が運ばれてきても撮影会が終わるまで自分のオーダーした料理にすら手をつけられない。右から左から、上から下から撮りまくる。まるでグラビア撮影のようだ。そして無言でアプリ加工をし、ほんのり赤いトマトのスープがアップした写真ではドギツい血色に染まっている。即SNSに投稿。温かい料理を囲ったまま、まともな会話のキャッチボールすらできない瞬間が多々あった。
私はあの沈黙がとてつもなく虚しく感じることがあった。
一体何がそうさせるのか。
このカラフルでパッションな写真に託す自身の日常や人生。誰だってキラキラしたフォトジェニックな人生を送り、またそう見られたいのだ。
モノクロで地味な日常で、
人生に必要なエッセンスを映え無視で見つけることができれば、日々の日常や人生はより彩りを増すのだと思う。
このブログと共に、今の時代をより快適に過ごせるヒントを見つけていきたい。